~会話のないテーブル~

 

タブレットの調子が悪い…電源ボタンを押すと、立ち上がる動作を繰り返す。自力で修理を試みるが、リカバリーすらできない。仕方なく、メーカーに問い合わせてみる。

「修理には1~2週間かかります」

それも仕方ない。不便かな…少し前のアナログ生活に戻る。

タブレットを使用する大きな目的はスケジュール管理だ。仕事は多忙を極めるため、仕事の業務分担をタブレットがしてくれていた。

 

そんなある日、子どもたちと外食に行く。

向かい側に中高生の子どもを連れた家族がテーブルに座った。子どもたちは男女2人ともスマホを見ている。夫婦がメニューを見て全員の分を注文する。

その後、夫婦まで携帯を見はじめる…。

ご飯が届いたら、そそくさと食べては素早くお店を出られた。私が見る限り、そのテーブルには「会話」というものが、殆ど無かったように見えた。

 

そんな姿を見て、なぜか自分の小さい頃を思い出す。

実家の近くにイエロープレーンというファミリーレストランがあった。たまに行く外食は楽しみのひとつだった。

家族みんなでメニューを見ては会話が弾み、あつあつのハンバーグが来たときは歓声を上げたのを覚えている。

 

今、自分が親という立場にいる。外出は好きなので、ワクワクしてもらえるような時間を作ってあげたいと思って子育てをしている。

 

が…

 

お互い自分の世界に入り込み、会話のないテーブルの姿を見て、現在の自分と照らし合わせてみる。

「タブレットがあったら、触っていなかったか…」

「子どもたちとの会話をする時間を少しでも阻害していなかったか…」

 

少しゾッとした。他人の行動を見て自分を確認する。

スマホやタブレットがあれば便利であるのは間違いないが、大切なものを見落としたり、見過ごしたり、見抜けなかったりする温床になるのではないか…。

そんな風に思った。

親自身が電子機器の使い方やルールを守ることが重要だ。そして、自分の家族だけでなく、社会のルールとしてモラル向上をしなければ、子どもの成長の芽を摘み、コミュニケーション力に乏しい社会全体になるのではないかと危惧する。

子育ては忙しく、仕事も大変だ。しかし、1日のうち5分でも「意識して」子どもの話を真剣に聞いたり、会話する時間を設けるようにしている。